清洲古城跡公園
1610年(慶長15年)の清洲越しの後、
現在に至るまで清洲城跡地として保存され幕末の清洲城顕彰碑2基や、信長を祠る小社があります。
毎年6月2日の命日には郷土の英傑を讃え
社前で「織田信長公顕彰祭」が執り行われています。
●信長公を祀るお社
●清洲城碑
●右大臣織田信長公古城趾碑
「思いがけない名古屋ができて、
花の清洲は野になろう」
徳川家康により名古屋城の築城が命じられた当時の、臼挽き歌の一節です。
清洲から名古屋への遷府、
いわゆる「清洲越」が慶長15年(1610)に始まり、清洲城は取り壊され、神社・仏閣から町屋、五条橋に至る、城下にあったすべてのものが名古屋城下へ移転されました。
名古屋城の西北隅檜は「清洲檜」と呼ばれ、清洲城の小天守を移したと伝えられています。
「清須市観光ルートマップより」
★清須市清州古城448番地
(終)